マルボーロ・マンの孤独っていったい

南野 尚紀 

 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』には、「マルボーロ・マンの孤独」というエッセイが載っている。

 マルボーロ・マンとは、表参道・青山のビルの上に飾られていたタバコの広告のキャラのことで、その広告や裏側の板っ張りになってるのを見るのが好きだったという話だ。

 僕も割にこういう感覚はある。

 吉野家を見ると、ついにこるんのポスターが貼ってあるかなぁと気になってしまうし、それが夜中とかだと、不思議な哀愁みたいなものを感じてしまう。

 Firenzeに行くと、夜中、化粧品やハイブランドのマネキンがスポットライトやモデルがキャットウォークしてるきらびやかな映像に照らし出されて、ずっとその映像が繰り返されている、みたいな美しい光景が見られるんだけど、あれも大好きだ。

 でもマルボーロ・マンの孤独は、またちょっと違うところがあるかもしれない。

 村上春樹は、マルボーロ・マンの裏側をオルターエゴ(第2の自我)だと表現してるんだけど、僕もそんな気がする。

 カッコつけてはいるけど、裏側がただの板っ張りというのは、広告のというか、マルボーロ・マンの表層性がよく出てると思うけど、「俺はタバコを吸ってる人の代表で、広告塔になればそれでいいんだ。誰かに見られることで成り立ってるんだけど、本当はそんなことよりタバコを吸ってる人を代表になることが重要なんだ」というメッセージが、話を読んでると伝わってくる。

 表面的な奴だけど、どこか憎めない奴、みたいなところがこのマルボーロ・マンにはあって、この憎めなさを表現してるところが村上春樹はうまいなと。

 僕は表面だけの人間と、外向的でいい性格の人間は区別するようにしている。

 その見分けをつけるのは、よくしゃべるのに内向的な僕にとっては難しいんだけど、とにかくこれは人生を生きる上で、結構重要なスキルだと思う。

 そして、マルボーロ・マンの裏側、板っ張りの中にマルボーロ・マンの悲しみや、心の弱い部分を見守ることが大切なのだろう。

 もうすでにない広告について語っても意味ないけど、人生を理解する上でこういうことって案外大切だ。

 イタリアやトルコでは、街頭に立って、街を見続けながら、店をやる人がよくいるけど、街を見続けるっていうのは、案外寂しいことなのかもしれない。

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