南野 尚紀
『ポートレート・イン・ジャズ』に登場するセロニアス・モンクは、だいぶ世の中を美化して捉えてるような感じを演奏から受け取れるし、実際に村上春樹のモンクのエッセイもまるで新宿の街を歩いてジャズ喫茶に入っただけの情景とは思えなくくらい、きらびやかで、哀愁がある。
昔、シエナで好きだった女性に、「プラトンの言うように、運命の人に会い、お互いに言葉を交わし続けると、精神的に成熟するっていう話を僕は信じています」って言ったら、「哲学は物事を美しく捉えがちですね。科学も世界を客観的に捉えるのに有効な手段ですよ」と言われた。
僕の返答は、「美しくないものはこの世の中に必要ですか? 美しくないものがあなたのようなキレイな人間を信じられないとしたら、それは悪なので、必要ないでしょう? 哲学とはそういうものです。少なくとも僕はそう思っています」だったし、最終的にはフラれたけど今でもいい女性だ。
僕がいつも思うのは、街に似合う服を着た方が気分よく街を歩けるのと同じように、街に合う音楽というのがあるということ。
村上春樹が秋の新宿とセロニアス・モンクの音楽を結びつけてるのは、偶然じゃないし、僕も秋の昼下がりに1枚、紺のニットでも買いに行くかって、新宿に出かけた時にでも聴きたくなる。
モンクの豪胆さは、ジャズのシャワーを浴びるみたいに、たくさんジャズを聴かないとわからないかもしれない。
彼の作曲の曲に「Straight, No Casher」(ストレートで、チェイサーはいらない)って曲もあるくらいで、彼の音楽はお酒を飲んで、なんとなくうまくいかない日々を過ごしたことのある人にしか、わからないものもあるんだろう。
人間は、精神的な高みに上れば登るほど、1人になる時間が増えるし、そういうタイプの人というのは、時々いる。
「そんなマジメなんなよ。生きてりゃ、人生いいことあるぜ」って、アキカウリス・マキの映画みたいだけど、そう呼びかけられてるような感じが、モンクの音楽からはする。
アルバムで言えば、僕も村上春樹がオススメした『5 By Monk By 5』と『Thelonious Monk In Italy』をオススメしたい。
イタリアのライブ版は、変にピアノの音が走ってなくて、上品な感じが聴きやすい。
それでいて、どこかシングルモルト・ウイスキー、ボウモアを飲むような臭みを感じられる。
僕の中の「ウイスキーは臭みがなくっちゃ」と、「ジャズはキレイでも、クセがなくっちゃ」の感覚は似てる。
そのクセがマネすることがほとんど不可能だと言われてるのがモンクだ。
ただコピーするだけなら、できるかもしれない。
しかしモンクの大胆さと、背景にある脆さを持ち合わせた繊細さはなかなか表現できないもんなんだろう。
彼には師匠のバド・パウエルが麻薬で牢獄に入った時、麻薬をやったフリをして、俺も牢獄に入るって言って、一緒に牢獄に入ったことがあった。
部屋にピアノしかないような部屋で、音楽プロデューサーを説得した話など、素朴で、武骨な印象はどこまで行っても伝わってくる。
その人のその人らしさっていうは、どこから染み出してくるもんなんだろう。
ちょうど精神分析をどんなに駆使しても自分のことはわからないし、最後に自分のことがわかるのは自分と最愛の人だというのと同じくらいに、人の個性、アーティストの感覚というのは限りなく深い。
了
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